丸亀市猪熊源一郎現代美術館、牟礼 イサム・ノグチ庭園美術館、前川國男設計による旧岡山美術館など、日本のモダニズムの歴史を知ることができるスポットが瀬戸内周辺には数多く残っています
その中心人物のひとりが建築家 丹下健三
広島平和記念公園をはじめ、香川県庁舎、船の体育館、今治市庁舎など瀬戸内周辺で数多くの建物を手がけています
丹下健三氏の略歴
丹下健三は1913年(大正2年)に大阪 堺に生まれ、住友銀行の行員であった父親の仕事で中国に渡ることとなり、上海 イギリス租界で幼少期を過ごします
1921年(大正10年)8歳のときに今治でタオル製造業を営んでいた叔父が急逝。父親が家業を継ぐため一家は今治に移住することになります
1930年(昭和5年)17歳で旧制広島高校(広島大学)に進学。図書館で見た外国雑誌に掲載されていたル・コルビュジェのソヴィエトパレス計画の記事に感銘を受け建築家を目指すことになります
1935年(昭和10年)に東京帝国大学 工学部建築家に入学、1938年に前川國男建築事務所に入所。1941年に東京帝国大学大学院に入学し、都市計画の研究を行っていました
1945年(昭和20年)8月6日、父 危篤の知らせを受け帰郷の途についていた丹下は尾道にいたそうです。実家に到着するも父は2日前に亡くなっており、原爆投下と同じ日に行われた今治空襲によって最愛の母も亡くしてしまいました
少年期・青年期を過ごした今治、広島は丹下健三氏にとっての故郷
丹下健三の出世作となった広島の平和記念公園をはじめ、今治・高松に丹下建築が数多くあるのは、単なる地縁のみならず、さまざまな記憶や想いが残っていたからなのでしょう
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2026年7月25日に今治市民会館で、丹下健三氏の息女である内田道子さんと建築家 伊東豊雄さんのトークイベント「父、丹下健三を語る」が行われたので、丹下建築巡りを兼ねて今治まで足を伸ばしてきました
今治 丹下健三 建築巡り
今治には合計8つの丹下建築があります
市庁舎の敷地内に「今治市庁舎本館」(1958年)、「今治市公会堂」(1958年)、「今治市民会館」(1965年)がコの字に配置され、市庁舎の右奥に「第一別館」(1972年)、「第二別館」(1994年)
市庁舎から徒歩圏内に、「愛媛信用金庫 今治支店」(1960年)、「愛媛信用金庫 常盤町支店(旧今治信用金庫常盤町支店)」(1967年)、今治地域地場産業振興センター」(1985年)
今治にこれだけの丹下建築があるのは、1954年に今治市長となった田坂敬三郎氏が丹下健三の中学の先輩であり、実家の筋向かいだったことから「今治にも何か建ててほしい」と依頼したのがきっかけだったそうです
今回は今治で見たものを中心に1950年代から60年代にかけて作られた丹下建築初期の建物をまとめてみました
色彩よりディテールを感じたかったのであえてモノクロームで!
今治市庁舎本館 1958年

端正な格子のグリッドで構成されたファサード。モダニズム建築の様式美を強く感じさせてくれます
右方向は中央部と同じパターンが繰り返され、左方向は上部のグリッドが取り外されたアシンメトリーなデザインになっています

一見、ただのパターンのように見えますが、グリッドの内側は「くの字状」に凹んでいます

太陽に照らされると午前中は左側面、午後からは右側面が影になりリズムを生み出しています
横に渡された梁はル・コルビュジェが好んで用いた強い日差しを遮るブリーズソレイユを参考にしたのかもしれません

今治市公会堂 1958年

今治市庁舎本館と同じく1958年に竣工した今治市公会堂
前面と背面は巨大な逆三角錐の列柱が並んだような造形になっています
2011年に取り壊しか保存かで論争が起きましたが、保存を求める声が多く大規模改修が行われ2013年にリニューアルされました
今治はタオルと造船の街。2013年に今治造船の寄贈により貨物船用の巨大なプロペラが建物の前面に設置されました

真下から建物を見上げると神殿のような荘厳さを感じます

深い彫りが太陽の動きに合わせて美しい陰影を刻み込んでいきます
市庁舎本館は格子で隠れていますが壁面が「くの字」に凹んでおり、ある意味、対になるような設計意図があったのかもしれません

今治市庁舎側の左側面がエントランス。20世紀モダニズムを感じさせる構成です
今治市民会館 1965年

市庁舎本館、公会堂が建ってから7年後の1965年に追加された今治市民会館
丹下建築の中で和のエッセンスを強く感じさせてくれる建物

一階部分を持ち上げたような構造と、阿弥陀くじやモンドリアンコンポジットを思わせる格子状のガラス枠

大きく迫り出した庇と桂離宮を彷彿とさせるコンクリートの壁面

天井には黒く塗られた梁のような意匠、柱は切欠きのような形状となっており、横方向の梁と組み合わさっています
木枠の木目がコンクリートに表情をだし、まるで木造建築のような造形です

愛媛信用金庫 今治支店(旧今治信用金庫 本店) 1960年

今治市庁舎から150mほど離れたところにある愛媛信用金庫 今治支店
端正なグリッドで構成された下段、その上に大きな庇が載ったテラスエリア
テラス部分の手摺りの造形が寺社仏閣のそれを彷彿とさせ、屋根の裏側は梁が伸びるような意匠。ここでも和のエッセンスを感じます
設計には建築家 磯崎新氏も加わっていたそうです

今治は造船の街。この建物の造形は「甍の波に浮かぶ船」をイメージして設計したそうです
甍(いらか)とは瓦(かわら)で葺いた屋根のことで、もしかしたら、当時の周辺には低層の瓦屋根の建物が建ち並んでいたのかもしれません
その中にこのような近未来的な建物が建っていたら宇宙船が降りてきたような感じだったでしょうね


残念ながら内部と屋上は非公開ですが、チャンスがあったら見てみたいです
そのほか 1950年代〜60年代の丹下建築(広島・高松・東京・今治)
広島平和記念資料館 本館 1955年

丹下健三の出世作であり代表作でもある広島平和記念公園と広島平和記念資料館 本館
原爆投下から10年後の1955年8月6日に竣工。多くの人々が集い、慰霊碑の先に原爆ドームを望むことを想定し壁面のない柱だけのピロティとなっています

コンクリート製の柱はいくつかの形状が組み合わさってできており、その1つは美しい曲線を描くもの。木目の入ったコンクリートが今治市民会館との繋がりを感じさせます
香川県庁舎東館 1958年

猪熊源一郎の壁面「和敬清寂」、剣持勇の椅子などの家具、瀬戸内モダニズムを凝縮したような空間
コンクリートでありながら、日本の木造建築の柱・庇・梁のテイストを取り入れた美しい設計となっています
旧香川県立体育館(船の体育館) 1964年8月

東京の代々木体育館と同時期に建設された兄弟のような旧香川県立体育館、通称 船の体育館
残念ながら耐震改修工事の入札不調により取り壊しが決定し、2026年春から解体作業に入っています(写真は2026年5月1日撮影)
「船の体育館 再生の会」、「旧香川県立体育館再生委員会」の方が保存・再生の活動をされておりまだ首の皮一枚繋がっている状態だそうです
貴重な建築遺産、できることなら残してもらいたいですね
国立代々木競技場(代々木体育館)1964年9月

1964年に開催された東京オリンピックに向けて建設された吊り屋根構造の美しい建築
寺社仏閣の屋根で見られる「反り」や、勾玉や渦巻きに似た形状の「巴」(ともえ)をモチーフとして取り入れています
東京カテドラル聖マリア大聖堂 1964年12月

空に高くそびえ、大きく翼を広げたような造形は上から見ると巨大な十字架になっています
HPシェル(Hyperbolic Paraboloid)と呼ばれる、ポテトチップスのような曲線を描くコンクリートの構造にステンレス板が貼られた美しい造形の教会
シドニーのオペラハウス、ニューヨークJFK空港のTWAターミナルも同様の工法で建てられています
船の体育館、代々木体育館とカテドラルは、いずれも1964年に竣工しています
それまでの直線を基調とした造形から曲線が多用されるようになったのは、建築技術の進歩によるものなのかもしれません
それにしても、これだけのビッグプロジェクトを同時に3つも走らすなんてすごいエネルギーです
愛媛信用金庫 常盤町支店(旧今治信用金庫 常盤町支店) 1967年

今治市内にあるもうひとつの丹下建築
大中小の直方体を互い違いに連結したような設計で、比較的小さな建物ですが角丸の造形が未来的な印象を与えてくれます
前面のガラス窓枠はこの頃の丹下建築で多用される阿弥陀くじ状のものが採用されています
モノクロだと分かずらいですが、後からシャッターが設置されたようで、銀行のコーポレートカラーのシャッター収納スペースが取り付けられており、土日など閉店時は美しい阿弥陀くじ状の窓枠を見ることができません
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「父、丹下健三を語る」 内田道子 × 伊東豊雄

2026年7月25日に今治市民会館で丹下健三の息女 内田道子さんと建築家 伊東豊雄さんのトークイベント「父、丹下健三を語る」が開催されました

膨大な写真をもとに、世田谷 成城にあった自邸のこと、ワルター・グロピウスと訪れた桂離宮のエピソードなど、娘目線で見た丹下健三氏のお話をお聞かせいただけました
スライドに写っているのは香川県庁舎完成時に屋上で遊ぶ道子さんの写真ですね

トークイベント終了後に伊東豊雄さんにサイン頂いちゃいました!

いぇ〜い!

今治はコンパクトにまとまった小さな街でしたが、周辺にも見どころがいっぱいあり、ついつい長いしてしまいました!
また機会があったら訪れてみようと思います