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目に見えないものの存在とはなにか?直感の取扱い方と神社と鰻について

目に見えないものの存在とはなにか?直感の取扱い方と神社と鰻について


3年前くらいからものごとの捉え方が変容し、思考パターンやライフスタイルが大きく変わってきました

ここまでのプロセスを一言でまとめると

魂が望む方向に向かって進むようになった

と言えます

 

スピリチュアルな世界では、高次の存在と繋がるとか、ハイヤーセルフの声とか、スピリットに従って生きるとか言われたりしますが、残念ながら、僕にはそういった存在を視覚的にも感覚的にも捉えることはできません

ただ、こんなスピリチュアル凡人であったとしても「直感」を捉えることはできます

魂が望む方向に向かって進むということは、この「直感」に従って行動してきたと言うことと同じ

ワクワクすることをする、快・不快で選択するといったものも同じことなんだと思います

 

直感とはなにか?

例えば、「やったことないけどサーフィンしてみたい」とか、「今夜ステーキを食べたい」とか、「南の島に行ってのんびりしたい」とか、ふとした時に思いつくことがあると思います

直感とは、

なにかをしなきゃ

ではなく

なにかをしたい

と思う衝動的なもので、それがどこからやってくるのかよくわからないけど、やってみたい、行ってみたい、食べてみたいとアイデアが閃く瞬間のようなもの

 

そういった「どこからやってくるのかよくわからないもの」だから「自分の魂的なも」=「本来の自分」が潜在的に望んでいることと捉えることもできます

さらにいえば「自分の魂的なもの」や「本来の自分」といったものも、実際には捉えどころがありません

なにかを「やってみたい」「行ってみたい」「食べてみたい」と言う想いが明確に自分の内側から発せられたものだと言い切るのは困難です

となると、その直感は、もしかしたら高次な存在やハイヤーセルフ、スピリット的なものが発したものなのかもしれません

 

余談ですが「甘いものを食べたい!」という想いは腸内に住むカンジダ菌の仕業とも言われていますね

もしかしたら高次な存在ってカビなのか?!

 

直感の量を増やす

「やってみたい」「行ってみたい」「食べてみたい」と言う閃き=直感は1日何回も湧き出ているはずです

ただ、身の回りにあるノイズにかき消されてしまい、意識レベルまで上がってくるものはほんのわずかのように思えます

この直感をかき消すノイズを止められたら、より自分が望む方向に向かうことができるはずなのです

 

意識に上る直感の量を増やすには、身の回りにあるノイズを減らすことにつきます

テレビなどのマスメディアに触れない、SNSを辞めるといったことは直感の量を増やすことにつながります

オリンピックをやろうがやるまいが、新型コロナのワクチン接種がどれくらい進んだとか、どこかで災害が起きたとか、交通事故があったとか、メジャーリーグで日本人がホームラン打ったとか、友達が彼氏と一緒にゴージャスなディナーを食べていたとか、知らない誰かのかわいい猫が戯れている様とか

こういったものに触れ、反応している時の心の動きひとつひとつ丁寧に追って見ると、多少の感情の揺れは起きたとしても、自分の人生に直接的に関係することではないことが見えてくると思います

この外側に向かうエネルギーを自分に向かうエネルギーとして回収していけば必然的にノイズが減り、内側から湧き上がるものに気づきやすくなってきます

マインドフルネス、メディテーション、瞑想といったものを取り入れ、常に湧き上がってくる雑念を一時的に停止させることができるようになればノイズリダクションがさらに進みます

やったことはないですがヨガとかも自分の身体に意識を向けることになるでしょうから、必然的にノイズのことなんて忘れてしまうのでしょう

 

直感を思考で止めない

次に意識に上がってくる直感をどのように取り扱うか

渦巻くノイズをくぐり抜け、直感が意識の表層に浮かび上がってきたとしても、ルールや規範、他人の目を意識してしまったり、時間がない、お金がない、自分ではできないと思考がそれを止めてしまうこともままあります

基本的に、湧き上がってきた直感はカタチにしていかないとモヤモヤが残ってしまうものです

「なんか身体がシャキッとしないなー」ってときは、やりたいけれどやれていないことが溜まっていることが多いような気がします

心と身体は繋がっていますからね

であれば、出来るところからちゃっちゃと直感をカタチにしていったほうがスッキリします

現実的に考えて実行できないものもあると思いますが、大抵のものは乗り越えられるもの

ただそれを行動に移すのにちょっぴ勇気がいるだけのこと

自分が課している制約なんて、よくよく考えてみたらちっぽけなもの

思考やエネルギーは直感をカタチにしていくところに使った方が、より自分らしくあれるものです

そうやって直感に従って直感をカタチにし続けていれば、流れが良くなり、質のよいインスピレーションが降りてきやすくなるような気がします

 

神社は直感が降りてくるパイプを綺麗にするところ?

先日、ふと思い立って箱根に行ってきました

理由はよくわかりませんが箱根の九頭龍神社(本宮)に行ってみたくなったのです

目に見えないものの存在とはなにか?直感の取扱い方と神社と鰻について

平日で小雨が降っていたこともあり、人影もまばら

心ゆくまで神社周辺の芦ノ湖湖畔をうろうろしていました

日本には神社が10万社以上あると言われますが、神社に行くと清々しい空気が漂っていて気の流れが良く感じられる所が多いです

掃き清められた境内、玉石の上を歩く音、鈴の音

五感を通じて凛としたものを感じ取ることができます

神社という場所は、単にお願いごとをするためのところでなく、場の力を借りて直感が降りてくるパイプの流れをよくするための場所のような気もします

神社に行ってみようというと思うのは、日常から少し離れ、パイプに詰まった塵(ノイズ)を綺麗にしてもらいに行くみたいなものなのかもしれません

鰻パワー

さて、関東地方は梅雨明けしたようで週末からは暑くなりそうです

目に見えないものの存在とはなにか?直感の取扱い方と神社と鰻について

今年の土用の丑の日は7月28日です

箱根に行ったついでに三島まで下り一足早く鰻を頂いてきました

房総で鰻といえば成田周辺ですが、個人的には三島の鰻に軍配があがります

例え非房総民と言われようとこればっかりはしょうがありません!

目に見えないものの存在とはなにか?直感の取扱い方と神社と鰻について

三島は富士山からの伏流水が湧き出るところ

市中を流れる源兵衛川、伏流水が湧き出る柿田川湧水

水がほんと綺麗です

水が綺麗だから鰻が美味しいんですかね?!

 

ちなみに鰻にはとてつもない宇宙エネルギーがあるらしいですよ!

確かにあのフォルム、どこかと繋がっていそうです

他の生き物と比べて栄養たっぷりなことを考えると只者ではなさそうです!

 

 

といった感じで、箱根・三島ツアーな内容になってしまい、なんのことを書こうと思ったのか忘れてしまいましたが、こういった目に見えない領域が現実に及ぼしている影響ってとてつもなくおっきいんだな、ということを最近改めて感じています

と同時に、いままで自分の意思だと思っていたことも、全く違う存在のものだったりすることも感じています(カンジダ菌のように)

となると、自分っていったいなんなんでしょう?

もしかしたら目に見えぬ存在のための単なる器なのかもしれませんね

 

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