ここのところ夜になると雲が出ることが多く、夏の星空を楽しめておりません
先々週末も曇り空でしたが、雲の切れ間から星が顔を出すタイミングを狙い、久しぶりに天の川をゲットすることができました♪
房総フィールドの前面にドーンと天の川、夏ですね!
翌日、東京で打ち合わせがあったので、電車に乗って移動していたのですが、なんでこんなに暑いのにジャケット着てるんだろ?とか、駅構内やビルの中は空調がガンガン効いていて、どんだけエネルギー使ってんだろ?とか、この社会のルールや、都市生活の利便性に孕む矛盾を感じながらクライアントの元へ向かっていました
こういった感覚は房総から東京に戻るとよく起こることで、2つの世界を行き来しているような感じで日々過ごしています
どっちの世界がどうこうというわけでもなく、2つの世界を行ったり来たりしながらそれぞれの世界を楽しんでいるわけですが、どちらが素の自分に近いかといえば、やはり房総で過ごしている時の自分なんだと思います
この季節、房総で野良仕事をすると汗はドバドバ出るし、ドロドロになるし、虫にも刺されるし、とても快適とは言い難い環境ですが、ふとした時に感じる風の流れや、夜空に浮かぶ満天の星空を見上げていると、なにかしら代え難いものを感じてしまいます
こういった感覚がどこからやってくるのかというと、自分というものが、宇宙や自然といったものに繋がっていることを感じ取っているからなのでしょう
宇宙と繋がるとかいうと怪しげなスピリチュアルな話のようですが、自分の肉体を維持するためには、食べ物などからエネルギーを摂取する必要があり、その食べ物もなにかしらのエネルギーを受けて成長しています。そのエネルギーの根源を突き詰めていくと宇宙的な動きにたどり着くのです
太陽から降り注ぐ光と熱が動植物の成長を進め、月の満ち欠けが潮汐を起こし、直接的にはわからないけれど、その他の天体もなにかしら相互作用しており、今この瞬間のバランスを生み出しているのです
この地球上でアミノ酸から生物が誕生し、増殖し複製を繰り返しながら今日の我々に繋がっているという科学的な見解が正しかったとしても、そこに作用した偶然性を思うと、なんらかの意思が働いていたという可能性も否定できません
その「なんらかの意思」を創造主として崇めたり、宇宙人のシミュレーションとして捉えたりする私たちのイマジネーションも宇宙的原理原則に辿り着こうとしており、肉体も精神もこの大いなるシステムに繋がっていくのです
一方で人間の精神や意識の領域は、快適性や効率性を求め、独自のルールを創り出し、根源的なものの表層に物語というコーティングを施しています
お金や国家、宗教、社会制度といったものはそのコーティングされた世界のルールであり、その上で繰り広げられることの多くは”本質的”にはどーでも良いことなのです
コーティングされた世界がこの世の全てと捉えると行き場がなくなってしまいますが、コーティングされた世界の下にはリアルで本質的な世界が広がっています
僕の場合、そのリアルワールドに触れるのがここ房総であり、自分の感覚を取り戻す場所でもあります
物理的にそのような場所がなくても、海や山に出かけたり、ヨガやメディテーションしたり、SNSを含めたメディアと距離をとったり、家の中を整えたりするだけでも、世界の捉え方が大きく変わってくると思います
人類の歴史を振り返ってみても、リアルワールドの表層になにかしらの物語を紡いでいくことはこれからも続いていくのでしょう
ただ、ひとつの物語は時代とともに劣化し、コーティングが剥がれ落ちたところから新たな物語が紡ぎ出されることを繰り返してきました
いま紡がれている物語はそろそろその役目を終え、次の物語が紡ぎ出されるタイミングにきています
新たな物語が紡ぎ出されるとき、そのナラティブを誰かの手に委ねるのではなく、個々人が自分の肉体と内側に広がる世界がどこと繋がっているかを体感し、その摂理に従って自らその物語を創造していくことが今やるべきことなのでしょう
たとえこの世界に自分しかいなかったとしても、一人のイマジネーションや感覚がこの世を創り出しているのですから