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人類学とアナーキズムといま私たちが暮らす社会 デヴィッド・グレーバー「ブルシット・ジョブ」「アナーキスト人類学のための断章」と松村圭一郎「くらしのアナーキズム」を読んで

人類学とアナーキズムといま私たちが暮らす社会 デヴィッド・グレーバー「ブルシット・ジョブ」「アナーキスト人類学のための断章」と松村圭一郎「くらしのアナーキズム」を読んで


先日、房総を往復する間にAudibleで聞いていた「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」を読了(Audibleだから聞了か?!)

多くの人がいましている仕事の大半は、ろくに価値を生み出さないどうでも良い仕事であるということを無数の事例を列挙しながら、価値のある仕事とは?やりがいのある仕事とは?という仕事の本質を突いてくる面白い本でした(若干耳が痛くなりますが!)

著者であるデヴィッド・グレーバーのことを調べてみたところ、彼は人類学の教授で、アナーキスト、アクティヴィストともあります

「なんか、面白そうな人だ!」と思い他の著作も読んでみようと手に取ったのが「アナーキスト人類学のための断章」という本

 

人類学とアナーキズムの関係

アナーキズム(無政府主義)と聞くと、国家転覆を図り社会を無秩序な方向に向かわすという怪しげなイメージもありますが、一方で、個人の自由を追求し理想的な社会を目指すムーヴメントという側面もあります

私たちは民主主義+資本主義という2つのイデオロギーの中で暮らしていますが、もし、この仕組みになにも問題がなければ、アナーキズムのような思想もブルシット・ジョブも生まれてこないでしょう

 

いま私たちが暮らしている仕組みのことを振り返ってみると

・政治的決断が自分の意見=民意を十分に反映し、皆が納得の上、意思決定されているでしょうか?

・集められたお金の使い道は自分が望んだり妥当だと思える形で分配されているでしょうか?

・自分の仕事から生み出されたものが直接的であれ、間接的であれ、受け取る人の生活の質をあげ、かつ自分の成長や幸せに繋がっているでしょうか?

 

普段、こういったことを真剣に考えている人はほとんどおらず「そういったものだから」「◯◯が決めたことだから」と、例えそれが自分に関わる問題であったとしても、その解決策を考えることもなく、自分の価値基準すらも、国家や社会通念、所属する会社が決めた方針に委ねてしまっています

もし国家も社会通念も会社もない状態、もしくは、あっても機能しない状態となったとき、自分はどう動くのか?なにをするのか?というところまで発想する機会はそうはありません

このことを逆説的に捉えると、こういった仕組みを着々と作り上げてきた意思があり、その仕組みの中にいる人々は飼い慣らされているとも言えるのです

この仕組みから抜け出すことができないよう見せかけて、多くの人がそれを信じているからこの状態が続いているだけのことです

 

でもそういった仕組みが行き渡っていない社会というものが、いまのこの地球上に存在します

そういった社会の姿を浮き彫りにするのが人類学

人類学は異なる文化や社会に暮らす人々の生活様式を見つめ、習慣や行動、そのベースとなる信念や価値観を探る学問

観察対象となる社会が、国家という枠組みの中にあったとしても、その影響力を全く受けていない場所 ー 例えば、いわゆる未開の地と呼ばれるようなところや、紛争や災害などで機能停止している場所 ー で暮らす人々がどのように共同体を自治し、どのように自立した経済圏を作り上げているのか?私たちが暮らす社会との差異はどこにあるのか?というところに視点が当てられます

そういった環境で生活を営む人々の行動様式を抽出していくと、いま私たちが乗っかっている国家や資本主義といったものが必ずしも必要でないことに気付かされます

と同時に、その仕組みから抜け出すオルタナティブなアイデアとして、彼らの生活様式が参考になったりもします

人類学的視点で捉えるアナーキズムとはこういったことになると思います

 

人類学 x アナーキズムを知る本

人類学 x アナーキズムで最初に手に取った本は、先ほど挙げた通り、デヴィッド・グレーバーの「アナーキスト人類学のための断章

グレーバーは序章で、フィールドワークで訪れたマダガスカルのとある街で人々の様子を伺っているとき、一見何事もなく機能しているかのように見えた行政手続が政府機能とは切り離されており、住民たちがある種の演技としてそれを続けていたという事実を発見します。そこで見聞きしたことと、1999年にシアトルで起きたWTO閣僚会議の抗議デモを組織的に行なったグループ DAN(DirectActionNetwork)の運動に類似性を発見したと語ります

このような視点から人類学とアナーキズムの関係、歴史、アナーキズムの本質を断片的にまとめられた内容になっています

 

仕事仲間で唯一この手の話ができる方に「いま、こんな本読んでるんですよ」といったら、すぐさま「グレーバーか!ならこの本面白いよ!」と紹介していただいたのが次の本

松村圭一郎「くらしのアナキズム

松村圭一郎氏も人類学者で、エチオピアの農村部でのフィールドワーク、ご自身の実家のある熊本で起きた震災の出来事などを通じて、グレーバーと同じ視座に立っています

この本はグレーバーの著作からの引用をベースに、人類学的視点に立って国内外の事例を交えながら、私たちが暮らす社会システムの問題点浮き彫りにし、私たちがいまできることを提示してくれいるのでより実践的な内容になっています

 

私的感想

この2冊を読了して感じることは、価値観が多様化した現在において、現在の国家規模では民主的合意形成をすることはもはや難しく、ダウンサイジングが必要だということ

ダウンサイジングといっても、地方分権のようなトップダウン的なダウンサイジングではなく、価値観の会う人同士の繋がりの中から生まれてくるサイズ感なんだと思います

そしてもうひとつのポイントは、いま乗っかっているシステムに依存していることを自覚した上で自分ができるコトから「自立」してみようとする意思と行動だと捉えました

一人の人間がこのシステムから完全に自立することは簡単なことではありませんが、自分が出来るコトに真摯に向き合っていれば、それを必要とする人が現れてくるはずです。そして自分を必要としてくれた人が出来るコトを私に提供してくれる、そんな繋がりが有機的に無数に出来上がっていけば、国家にしても資本主義に対しても、その役割を限定的なものにできるはずです

国家の運営にしても資本主義をベースにした生産と消費のあり方にしても、そのシステムに乗っかるのではなく、そのシステムを利用するというスタンス、つまりそれらが持つ本来の機能を自分たちの手に取り戻すことが必要な気がします

国家にしても経済にしても、本来それらは一人ひとりの幸福を追求するために使われるべきですからね

ほどほどに。というさじ加減 田起こしDAY5

一見無駄に思えるこの作業も、食べるものを今のシステムに依存せず自分の手で作ってみたい。それが本当に実現できるのか?という好奇心から来ています

詩人であり彫刻家でもある高村光太郎氏が岩手の開拓者たちに贈った詩の一節

「食うものだけは自給したい。個人でも、国家でも、これなくして真の独立はない。そういう天地の理に立つのがわれらだ」

ということことです

そういう意味ではアナーキーな米作りなわけです(笑)

 

 

アナーキズムというとちょっと危険な香りがしてきますが、その本質はより良い社会を作っていこうとする行動スタイル、精神的スタンスであることがお分かりいただけましたでしょうか?

面白そうだな!と思ったらこの2冊を是非読んでみてください

きっとなにかしらの気づきがあると思います

 

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