この宇宙にある万物を細かくバラしていくと、最終的には素粒子という粒になるそうです(現時点では)
自分の肉体も、目に映るものも、全てのものは粒々が集まって構成されているということです
しかし、素粒子を肉眼で捉えることはでできないし、いま僕の目の前にあるMacBookのディスプレイやキーボードが粒々の集まりだなんてことはにわかには信じがたい
目の前の物体が素粒子で構成されいたとしても、感覚的には物体と物体の間には境目があり、境目があるからこそ物体を肉眼でものを捉えたり、触ったりすることができるわけです
一方、小学生の頃、理科の授業で顕微鏡で捉えた赤血球や細胞の写真を見たとき「これって、宇宙に浮かぶ惑星みたいだな」と思ったこともあります
もしかして、一つ一つの細胞の中にも宇宙があって、その中に地球みたいな星があり、その惑星に人類みたいな生物が住んでいるのかも?!なんて夢想したものです
となると、自分という存在は、とてつもなく巨大な生物の中の細胞の中に存在しているのか?!とか
仏教的な思想やスピリチュアル世界では「ワンネス」と呼ばれる概念があります
「わたし」という意識は「わたし」が創り出した幻想であり、「わたし」は全てもののの一部であり、大いなる存在そのものなのだというものですが、これはこれで感覚的にはなんとなくわかる気もします
森の中や星空の下で過ごしているとき、自分がその中に溶け込んだような感覚になったことは何度かあります
とはいえ、この3次元世界では物体は物体として存在し、ものを欲しいと思ったらあくせく働いてお金というものを手に入れ交換したりというわけのわからんことをしているわけです!
たとえワンネス的な発想が真実だったとしても、物理世界に存在する私と世界との間にはなんらかの境目があるのです
国営ひたち海浜公園 見晴らしの丘のネモフィラ
昨日、房総半島を抜け、利根川を渡り鹿島灘に沿って北上
茨城県大洗を超えたところにある国立ひたち海浜公園に行ってきました
この公園内にある「見晴らしの丘」は、春にはネモフィラ、秋にはコキアが一面を覆う名所となっており、一度行ってみたいと思っていたところでした
見晴らしの丘に向かって歩いていくと、並木の間から淡いブルーの風景が目に入ってきます
これは圧巻!期待以上のインパクトです
さらに近づくと手前に菜の花が咲き誇り、ネモフィラとのコントラストが美しい
ある程度覚悟はしていましたが、案の定、すごい人!
人混みが苦手なのでこういうところには行きたいくないのですが、見晴らしの丘はかなり広いので、さほどストレスにはなりませんでした
一面ネモフィラブルーに染まる丘の小道を歩いて散策
それにしてもこのブルー、蛍光色にも見えるしなんともいえませんね
ネモフィラに近づいてみてみると、ひとつの株ごとにたくさんの花をつけ、もこっとしているのがわかります
さらに近づくと一つ一つの花が目に入ってきます
藍色の花弁もあれば、ターコイズのような色をしたものをあるんですね
直径1cmほどの小さな花弁が無数に集まってこの光景を創り出していると思うと「小さなひとつが全体を構成している」ということを感覚的に捉えることができますね
その中をうろうろしている人間も「すべてのなかのひとつ」なのかもしれないと思えてきました!
とはいえ、やっぱ、人混みは苦手です!