親父が息を引き取ってから1週間が経った
あっという間だった
病院で手続きを済ませ、葬儀場で打ち合わせをし、通夜、葬儀・告別式と流れ、駆けつけてくれた叔母も帰り、ようやくひとり静かな時間の中にいる
1週間のバタバタのお陰か、悲しみにどっぷりと浸る時間もなかった
いまは、ご飯を食べたり、洗濯をしたり、本を読んだりしながら、時折りぼっとして過ごしている
この1週間、1人で過ごすわずかな時間の中で気持ちがぐっと昂ったり、時に涙がこぼれることもあったが、それも薄れてきた
単に疲労が溜まっているだけかもしれないし、感覚を麻痺させる脳内物質が出ているのかもしれない
ここまで積み重ねてきた僕の世界から親父という存在が抜けたことで、なにかがリセットされた感じもする
産まれてからこれまで、なにかが起きても親父が守ってくれるという安心感があったように思う
だから安心してこの世の中で遊んでこれた
その存在がなくなったことで僕自身がどう変わっていくのかまだよくわからないけれど、こらから改めて僕の世界を再構築していくことになるんだろうな
生物である以上いずれは終わりが来る
人は輪廻転生するとか、魂は不滅とかいうけれど、それも本当なのかわからない
宗教やスピリチュアルなものの捉え方は、この宇宙の真実なのかもしれないけど、単に死というものを受け入れ易くする仕組みだけなのかもしれない
他者の死であれ、自分の死であれ
生きている側は、死者と魂で繋がっていることを信じることで悲しみを中和させる。そして自分の死によって存在が消えてしまうことを恐れ、あの世を信じ心の平穏を得ようとする
どう捉えるかは自分次第
都合よく使えるものは使えば良いと思う
親父の死を自分に降りかかる不幸だとは思わない
親父は親父で息を引き取るその瞬間まで、なにかを感じながら命を燃やし続けてきたと思うし、僕は僕で親父という存在が僕の心に残したものを感じながらいまを過ごしている
ひとりひとり多少の差はあれ与えられた時間は限られている
僕はいまこの瞬間を最大限に楽しむことで生の喜びを享受しただけ
それは親父が僕にそうあって欲しいと思うからとかではなく、僕自身がそう思うから
親父は親父、僕は僕
でもね、やっぱりどこか繋がってるんだろうね
なんか感じるよ
☆
メッセージをくれた方々、本当にありがとうございました
もぬけの殻になっていたところ、現実に引き戻してくれました(笑)
ちょっとは浸らせろよなぁ…
と思いながらも嬉しかったです!
誰かと繋がっているという感覚が意外にも支えになるものですね
なかにはお会いしたことのない方もいらっしゃいますが、目に見えないなにかで繋がっている感じがしました
身近に存在する人であれ、会ったことのない人であれ、死者であれ、僕の心になにかが刻まれていればその人は存在している
違いはレスポンスがあるかないかだけ
その差は大きいことのようにも感じるし、それほど違いがないようにも思えます
さて、そろそろ動き出すか!