先日成田から飛び立った飛行機の中から富士山を背景に東京方面を撮ったのですが、この写真を眺めるたびに得も言われぬ気分になります
東京都心とその周辺を埋め尽くすようにタワマンやら高層ビルが立ち並び、キノコのように増殖しているようにも見えます
丹沢山系の背後にドーンとそびえる富士山の姿と比べると、ちっぽけなことをチマチマとやってんだなぁとも思えてきます
ビルに囲まれたところでは、日差しも届かず、季節の移ろいを感じることもありません
これだけ密集したところで生活していたら手元にしか目線がいかなくなってしまうのも仕方のないことなのかもしれませんね
金を得るために慌ただしく日々が過ぎ去り、この地やここで暮らす人々のことを考える余裕も生まれないでしょう
この国をあるべき方向に導き、臣民の幸福を担保することが仕事の人たちのあり様を見れば明らかです
この高速道路も、この歩道橋も、このビルも、私たちの誰かが意図し、設計し、手を動かして作り上げてきたもの
つまり、いま自分が思考していることの一つ一つがこの世界を構成するピースなのです
ひとたび脳内で生み出したものが回りだすと、その仕組みを維持するために再び脳内で思考が始まり、そのループの中に留まり続けることになるわけです
常識だと思っていること、社会通念、経済活動、社会制度といったものは脳内で作り出したループなのです
富士山と東京都心部の写真を見ていて得も言われぬ気分になるのは、そのループの外側に「もっとでっかいもの」があることを感じるからなのかもしれません
タイトロープみたいなハイウェイ(by 吉田美奈子 / 山下達郎)を抜け出してみると
その「もっとでっかいもの」に包まれていることを体感として感じ取ることができるのです
預言書とも言われる日月神示の冒頭は
「富士は晴れたり日本晴れ 神の国のまことの神の力を現す世となれる」
で始まります
日月神示の「まことの神」が「もっとでっかいもの」だとするならば、脳内で作り出したループの外側にある世界の力学を感じ、身を委ねてみるタイミングにきているのだと僕は思います
視界が開ければ、この世界の捉え方も、どこを拠り所にするかも変わってきます
一人一人の感覚と意識が変わり「まことの神」と共にする世となったら、世界はもっと素敵になるはずなんだよな
みなみな うれしうれし たのしたのし かわるかわる ありがたいありがたい