ここ数年、雑誌をめっきり買わなくなりましたが、この前 久しぶりに書店をふらふらしているときにWIREDという雑誌が目に止まりました
WIREDは1994年に日本語版が発刊され98年に休刊。その後雑誌GQの増刊号として復刊したもののまた休刊。2018年にNHK出版編集長だった松島倫明氏によって再び復刊されました
1994年に日本語版が発売されてから最初の休刊まで読み続けていた雑誌だったので
「どんな感じになってるんだろ?」
と手に取ってみました
ぱらぱらっとページをめくると、相変わらずかっこいいエディトリアル
コンテンツも昔と変わらず、テクノロジーをベースに、アート、ガジェット、カルチャー、ビジネスと多岐にわたるジャンルを、普段の情報源では得られない切り口で切り取っています
昔のWIREDと比べると分厚く内容が濃くなっています。季刊になったこともあるのでしょうが、ひとつのテーマを中心にいくつもの特集記事が編まれており、まるで短編小説を読んでいるような感じ
そして今回のテーマは
「ナラティヴと実装」
なんだよ、ナラティヴって?
なんで「ブ」じゃなくて「ヴ」なんだよ!
っていうのは横文字大好きテック系ということで、こーゆーもんだと思いましょう(笑)
で、「ナラティブ」改め「ナラティヴ」は「物語」「語り」を意味する言葉ですが、同じく「物語」を意味する「ストーリー」とは異なるニュアンスがあります
「ストーリー」がワンウェイの物語だとすると、「ナラティヴ」は自分が物語ったものが他者に、他者が物語ったものが自分にインタラクティブに影響を与えていくようなイメージだと捉えています
元々は物語の構造を研究する動き(ロシア・フォルマリズム、構造主義)がおこりnarratology(物語学)というものができたのが起点のようです
その手法が派生し、医療現場でのコミュニケーション手段として患者のメンタルなど表面化しにくい課題解消に使われたり、最近ではマーケティング領域のコミュニケーション手法として「ストーリー」の次にくるのは「ナラティヴ」だと言われていたりします
さて、今号の冒頭では、地球温暖化防止を訴え国連でスピーチしたグレタ・トゥーンベリを特集
言わずもがなというくらい旬なネタですが、16歳の女の子が「自分たちでは解決できない問題」を発し、行動したことがSNS、マスメディアの中に流れ、世の中を動かしています
いままでも同じような活動はあったし、温暖化の真偽、この行動への賛否はあるでしょうが、自分が感じている課題をオープンにしたことで、その声が誰かに届き行動を促すまでになること。これがナラティブの効果なのかもしれません
その他、企画、製造、販売を垂直統合し、中間マージンを入れずにリーズナブルなプロダクトを消費者に直接届けるD2C(Direct to Consumer)カンパニーの世界観伝える手法、IKEAが展開する食料問題や都市化などこれから課題となることへの取り組み、The NORTH FACEが開発した撥水と通気性を両立した呼吸する新素材などが特集として組まれています
序文にWIRED 日本版編集長 松島倫明氏が今回の特集についてこのように書いています
地球温暖化を止めるアクションをいますぐ起こすべきだとスウェーデンの国会議事堂前で座り込みを始め、いまや世界的なクライメートアクションの旗振り役となった16歳のグレタ・トゥーンベリは、「わたしたち子どもがこの問題を解決するのは不可能」だと、混乱をつくり上げてきた張本人である大人たちに行動を促す。その矛先は、国連やダヴォス会議や各国議会で、したり顔で頷き理解を示す政治家たちだけじゃない。います全ての大人たちに問われているのは、そこで語られてきたナラティヴを、実装する力なのだ。
ナラティブの実装といえば、神話学者のジョーゼフ・キャンベルはかつて、「神話が語り伝えられるのは、それだけの値打ちがあるからだ」と述べている。子どもたちが世界を救うのも、英雄が帰還するのも、それがもっとも強力で社会にとって価値のあるナラティヴだからだ。人類の歴史とは、つまりは神話の繰り返しであり、現代においてそれに比肩するものがあるとすれば、それはSFという科学とテクノロジーに根ざした想像力のプロトタイピングなのかもしれない。例えば、壮大なる”神話”の完結を迎えつつある「スター・ウォーズ」に、キャンベルが多大なる影響を与えてきたように。
ミラーワールドがますます前景化し、現実が複数系になった「Realities」の時代に、ナラティヴはもはや唯一絶対の神託ではなく、オンラインに漂う無数のミームとなって日常に溢れている。ポストトゥルース時代においても(ユヴァル・ノア・ハラリ曰く、「トゥルースの時代なんてそもそもあったのだろうか?」)、人類がナラティヴの想像力 / 創造力から逃れることはないだろう。そこに人生の意味や世界の摂理を見出そうとするのは(AI時代に流行のミームを引用するならば)「人間を人間たらしめる営為」そのものだからだ。
であるならば、いまぼくたちが問われているのは、「いかにナラティヴを語るのか」だた。グレダや「スター・ウォーズ」だけでなく、スタートアップもD2CブランドもコレクティヴもLGBTQIA+も、今号で取り上げるあらゆる社会実装においてまた、いかにナラティヴを語るかが、ますます重要になってきている。だから、「WIRED」がその実験場として「WIRED特区」を立ち上げるのはある種の必然でもあって、そこから何が生まれるのか、今から楽しみでならない。
先日Blogに書いた、ニック・ランドなど新反動主義のニヒリズム漂う感覚とは真逆で
「ポジティブにいまをクリエイトしていこう!」
というオプティミスティックなスタンスが見えてきます
ニヒリズムもオプティミズムどちらも想像力から生まれるもの
想像から生み出されたものをナラティヴとして伝播させていくと、それを受け止めた誰かが新たなナラティヴを発していく
この循環がポジティブになるかネガティブになるかは、個人レベルで「今をどのように捉え、どのように行動しているのか」の積み重ねだと思います
誰かが創った物語に乗っかったり、なにかに人生を託してしまうのではなく、自分がどうありたいのかを見つめ、行動=実装し、物語を紡いでいくしかないのだと思います
だって、自分に不利益になることを自分の人生に実装したいなんて思わないはず
短期的で個人的な利益ではなく、広く長い視座で見たときに自分の益になることを選択していけばよいのだと思っています
所詮、人間のやることなんて、神話の世界にドラフトが描かれているのですから!
思い切っていきましょう!
*
ちなみに巻末には今年2019年12月に公開される「Star Wars episode IX」の撮影シーンの撮り下ろし特集
またひとつ、神話が完結しちゃいますね
楽しみだけど、寂しい…
スター・ウォーズに、いや、ジョージ・ルーカスに多大な影響を与えたジョーゼフ・キャンベルの本はこれ
千の顔をもつ英雄〔新訳版〕上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
千の顔をもつ英雄〔新訳版〕下 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)