沖縄のリノベーションから戻り、東京でがっつりデスクワーク&打ち合わせ三昧の生活をしています
「お金を稼ぐ仕事」=「本業」と「半分仕事・半分趣味みたいなこと」=「DIYや野良仕事」を行ったり来たりしながら最近よく考えることは
「天職とはなにか?」ということ
天職とはなにか?
天職というと「生まれ持った能力活かして生計を立てること」というのが一般的な捉え方ですが、必ずしもそれだけではないと思います
たとえお金を得ることが目的でなかったとしても、それをやることが楽しく、誰かの役に立ったり、自分の成長を感じられたりすることこそが「天職」というものであるように思うのです
僕が捉える天職という言葉のイメージは、仕事の要素よりもライフワークといったものに近いのかもしれません
「仕事」=「お金を稼ぐこと」というのは一昔前の概念
今現在当たり前に思っている金融システムや資本主義経済の構造を見ても綻びが見え始めているし、これからは、お金に代わる価値基準をひとりひとりが自分の中で作っていく時代に入ったのだと思っています
だからこそ天職だと思えることをした方が、自分自身にとっても良いし、もしかしたら周りにいる人たちに何かしらの価値を提供できるかもしれないのです
資本主義経済の限界と未来についてのヴィジョンは、こんな本とか読むとアイデアが湧いてきます
Case Study 〜 僕の経験
僕の場合、学生時代からヴィンテージ家具屋で働き始め、ろくに就職活動もせずそのまま大好きな家具に囲まれる仕事を続け、30代前半にWEBコンサル会社に転職
30代後半にWEBの仕事を続けながら、房総に土地を買ってDIYで小屋を建てながら野良仕事を始め、気がついたらフリーランスになっていました
改めて振り返ってみると、きっかけはどれも「これを仕事にしよう」と思って始めたものではなく、「これはクールだ!」と感じたものを(多少のタイムラグはあったとしても)続けていたら、なにかしらのかたちで仕事に繋がっていった
といった感じです
小学生の頃、親父が買ってきた「自給自足の本」を読み耽り、いつかこんな生活をしてみたいという想いが東京・房総の二拠点生活に繋がっているし
20代の頃、雑誌のインテリア特集をめくっていたときに目に入った一脚の椅子がきっかけで、家具屋巡りをするようになり、気付いたら行きつけのお店で働き始めていたり
中学生の頃、店頭にディスプレイされていたMacintosh Plusに未来を感じ、二十歳を過ぎてからPower Macintosh 6100/66をバイト代を注ぎ込みゲット。28.8kbpsのアナログモデムでインターネットに繋いだことが今の仕事に繋がっています
天職の見つけ方
やりたいことが見つけられないとき
「子供の頃に好きだったことを思い出そう!」
みたいなことがいわれますが、これはある意味正解
「あっ、これいい!」って
心が動いたものの中に天職に繋がっていくものがいっぱい転がっているのです
その感覚にどれだけ耳を澄ませられるか、どれだけ直感に従い素直に動けるかがポイント
好きなことを仕事にしよう!
ではなく
好きなことを続けていたら、いつの間にか仕事になっていた
というのが天職の見つけ方のあるべき姿なのだと思います
身体の声に耳を澄ます
違和感を感じることを続けていると当然ながらストレスが溜まっていきます
そういった状況を受け入れ、感情を押し殺して過ごしていると、ストレスが常態化し慢性的な不調に繋がっていきます
ストレスというものは自分が本当にやりたいこと、やるべきことに気付かせるためのものだったりしますが、なるべく早くこれに気付いてストレス発生源から距離を置くことが、身体のためにも、限られた時間を楽しみ尽くすためにも良いことだと思います
違和感を感じることに意識を回し続け、時間を費やしても、大抵の場合、自分に合わないことをやっているだけ
そんなことはやめちゃえばいいんです
僕の場合、組織マネージメントがホント苦手で会社辞めちゃいました(笑)
続けてきたことを止めるのって勇気が入りますが、大丈夫、なんとかなります!
一方、好きなことばかりやっていたとしてもストレスはあるものです
ただそのストレスは、自分が納得できるアウトプットが出せるか?クライアントが価値を感じてくれるか?といったもので、どちらかと言うとプレッシャーに近いもの
この手のストレスは自分のバージョンアップに繋がるものなので、それを認識していればよいだけのこと
違和感からくるストレスとは質が違います
天職はひとつではない
天職というと、この道一筋な職人的なイメージがありますが、過去やっていたことや、いまやっていることが絡み合ってできているもです
経験則から感じることは、現在なににもとらわれずやっていることが、将来やっていることに直接的、間接的に繋がっていくもので、たとえ途中で辞めてしまったことであっても、ふとしたタイミングでその時の経験が活きてくることはよくあることです
小屋をセルフビルドしたことで住宅の基本的な構造や作り方を覚えたことが、東京自宅や沖縄のリノベーションに繋がっているし、インテリアショップで磨かれた感性も活かされています
大事なのは、いまやっていることがどこに繋がるのかなんて考えずにどれだけ熱中できているかなのでしょう
そして、夢中になることは決してひとつとは限らないということ
好奇心の赴くままに、やって見たいことをやれるだけやったら自然と幅が広がっていくものです
Case Study 〜 妄想を現実化するために動く
これは以前からずっと思ってきたことですが、房総フィールドの敷地全体を仕立て上げていくこと、つまり居住空間を含めたランドスケープをデザインしていきたいのです
過去に見た美しい景観や心地よいと感じた空間の記憶をリミックスしながら脳内妄想を膨らませ続けていますが、なかなか手が回りません
それでもできることは進めています
ランドスケープとなると植物たちとの対話も必要
東京自宅では房総フィールドに植える予定の南国を感じさせる草花を挿木しながら増殖させています
ブーゲンビリアをどの辺に植えようか?
プルメリアは露地植えだと越冬できないから鉢で育てようか?
とか、ゆっくり育つ植物たちと対話しながら妄想を膨らませているのです
これからの季節、雑草刈に追われて庭づくりなんて悠長なことは言ってられないのが実情ですが、今年こそは1区画だけでも南国フレーバー溢れるものに仕立てあげていきたいです
そして目下進行中の沖縄リノベーション
次の仕込みも着々と進めています
洗面所に設置する鏡のフレームサンプルを取り寄せ、漆喰、杉のコンビネーションに合うフォルム、質感、色味を吟味しています
そしてキッチンの扉のプランニングも
先日本業の合間を縫って新宿のOkadayaでジュートの布を仕入れてきたのでこれを使って作る予定
どんな感じになるのかは来月中旬過ぎのお楽しみです!
こうやって複層的にやりたいことを夢中になってやっていれば、それこそが天職と呼べるももであり、この経験が10年後にやっていることに繋がっていくのでしょう
さて、明日は野良仕事
気温も暖かそうだし、体調もだいぶリカバリーしてきたので思う存分楽しんで参ります!