愛についてやっとわかった気がします。
愛とは如何なる状況にあっても自分を徹底的に肯定すること。
たとえそれが社会的、倫理的に間違っていたとしても、自分が良いと思ったことは正であるということ。いわゆる規範とか植えつけられた価値観というものに囚われいては、それは見つけられない。
もし、自分と向き合うことを辞め、愛を外側に求めてたとしても、それは苦しみを生むだけ。彼や彼女があーしてくれない、こーしてくれない、内側に抱えた困難な状況を嘆くことは、自分との乖離を生み出します。
本質は全て自分の中にあるのです。苦しいことや、嫌なことはトイレに流してしまい、自分が好きな自分を全て受け入れ、肯定するのです。
確かに、自分と向き合うことは難しいものです。向き合っているつもりでも、あまりにも深いところに自分の本音があって気づかないこともあります。全て自分を受け入れたと思ったとしても、まだ本音を炙り出せていないこともあります。
自分で炙り出せなければ人を頼ればよいのです。心と身体は繋がっています。身体の痛みが隠している本音を教えてくれます。セラピーでもいい、鍼灸でもいい、マッサージでもいい、ヨガや瞑想でもいい。使えるものはどんどん使う。
そうやって根気強く執着しているものを炙り出し、解き放っていくと視界が少しづつ広がっていくことを実感できるでしょう。
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この事実を教えてもらい、半分騙された気分で実践していたら、いつのまにか腹落ちしていたようです。そして、気がついたら、今度は、外に意識が向けられるようになっていました。
いつのまにか手にした道具を持って、恐る恐る、身近な人にその力を放ってみたら、彼らの心にも火を灯せることが出来たような気がします。
(あとは自分で頑張ってね。僕にできることはサポートするけど 笑)
そして、このプロセスはもう一つ大切なものを僕に思い出させてくれました。
それは、一点の曇りもないクリアな愛情というものがあること。それは外側に注がれたものであっても、何ひとつ見返りを求めず、期待すらしていないもの。
その感情を自分内側で抱くだけで、身体にエネルギーが回り、身体の中に水が溜まり溢れ出てくるような感覚。
ただそれだけで満たされる。
半年前にはわからなかった世界だけど、ようやくここまで来れたんだ。という気分。
ふぅ、長かったぜ!いや、あっという間にだったな。
でもこれは通過点。
まだときどきひょこっとエゴが出てくるけど、もう大丈夫。エゴをエゴとして認識できている。
さて、愛の力を得た僕が次にやることはなんなんでしょう?
だいぶ視界が開けてきているけれど、まだしっかりと見えていません。
でも、あともう一歩のところまで来ている気がします。楽しみだ!
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ジョン・コルトレーンで一番好きなアルバムは、記事タイトルとは裏腹ですが「Ballads」
あの甘美な音色は愛そのもの♡