Soul Searchin’ 気の玉の巨大化と断捨離

今月は1日しか房総にいっておらず、すっかりスピリチュアルな感じになってしまったこのブログ(笑)
まぁ、これも流れなんでしょうがないのです。
例により、こういうのが苦手な人は見ても面白くないのでスルーしてくださいませ。

先週の日曜日、なかなか寝付けずおもむろに両手を上に伸ばしてみたら手と手の間に大きな「気の塊」を感じました。

昨年から通っている鍼灸の先生に「気」の存在を教えてもらい、野球ボールからバレーボールくらいの大きさの「気の玉」を作れるようになっていましたが、こんなにでっかいのは初めて。しかも突然それが現れ自分でも驚き一瞬戸惑っていました。

しばらく手を挙げたまま気が溜まっていくのを待ち、徐々に両手を広げてベッドの両脇まで下ろしてみても温かい塊を感じ続けています。

うぉっ、なんだこれ(笑)

そして翌日も同じことをしてみたら、

出来てる!

そのことを鍼灸の先生に話してみたら、どれどれと、先生の手と僕の手を合わせて徐々に遠ざかっていきました。すると6畳くらいの個室両端くらいの距離まで気が通っているじゃないですか!

先生も「おー、すごいじゃん!」っておっしゃってくれました。

で、おまけで

「もう違う仕事した方がいいんじゃない?」

と(笑)

いつもなんか引っかかることをぽつっと言う我がマスター

これ、ドキッとするんですよね。。。

この前は「引っ越しするんじゃない?」とか言うし(笑)

で、この間なにをしていたかと言うと、ひたすら断捨離
なんか↑と繋がりそうな感じでビビってます!

1週間くらいかけて部屋に積み上がっていた本、おもちゃ、服、家具など2トントラック1台分以上のモノを処分しました。

今の家には20年近く住んでいるのでいて、部屋の許容量を超えるモノが堆積していたのです。

モノがどんどんなくなっていくにつれ、頭の中がクリアになっていく感じがしました。モノに留まっていた「なにか」が僕の潜在意識を引っ張っていたような感覚。モノを所有していることで得られる安心感と引き換えに、使わなくなったモノをいつまでも所有していることで潜在的なノイズが生じていたようにも思えます。

恐るべしモノの力

今回僕がやった断捨離という行為は単純に片付けてすっきりしたい!というより、留まろうとする意識を解放するために必要な行為だったようにも思います。ストックからフローの状態にしたかったんでしょうね。

断捨離プロセスも7割方終わったところで、6月頃から襲われていた虚無感から少し脱しつつあるような感じもしています。

しかし、これから迎えそうな変化は、「今の自分では」想像できないような大きさであるような気がしています。

少しでもその変化に耐えられるようあれやこれやとイメージを膨らませていたのですが、僕の想像の範疇はあまりにもちっぽけで、おそらくこれから起こることの予防線としては意味がないことのように思えてきました。

いま僕が会社員としてしている仕事は、ものごとの進め方をプランニングし、次に発生する事象を想定し、それに備え、対処するのが役割。

こういうふわっとした状態がものすごくストレスだし、嫌いなのです。仕事として美しくない。

しかし今は完全に手放し状態。

朧げに見えるものに向かい進みながらも、どこか流れに身を任せている状態です。

鍼灸の話に戻ると、2週間くらい前から背中に数カ所痛みが浮き出てきました。1番痛いのが右側に肩甲骨の裏側。

先生曰く、邪気がここに追いやられて正気と戦っているというようなことらしいです。

マインドの変化とともに身体のコンディションも変化していき、

もう僕にはよくわからないぜよ、、

といった感じ。

見えない力に弄ばれながら、ぐったりする日々を過ごしています(笑)

いや、マジで疲れる。このプロセス。

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